本文へスキップ

東京ラカン塾


東京ラカン塾は,

ラカン派精神分析を本当に経験し学ぶことができる日本で唯一の場所です.

Société psychanalytique qui se réfère à Lacan dans sa borroméanité avec Freud et Heidegger

Psychoanalytic society founded on Lacan in his borromeanity with Freud et Heidegger

スケジュールPUBLICATIONS

お知らせ東京ラカン塾発 text download

新着情報『ハイデガーとラカン』(日本語版)抄録:序

 

§ 0.1. 我が『友』ハイデガー

ジャック・ラカンの息女 Madame Judith Miller が編纂した写真集 Album Jacques Lacan. Visages de mon pèreジャック・ラカン写真集我が父の顔には1955年にハイデガー夫妻がラカン Guitrancourt の別荘 la Prévoté を訪問したときの写真が収録されている. その際の逸話をRoudinesco は次のように物語っている

“ジャック・ラカンは Cerisy の会合に参加しなかったが,マルティン・ハイデガー, 彼れの妻 Elfriede, Jean Beaufret, および Kostas Axelos を数日間 la Prévoté でもてなした.Sylvia は,とても愛想よく,また,ハイデガー夫人の反ユダヤ主義に気分を害されはしたが,ハイデガー夫妻のためにドイツ風の朝食を作った: 彼女は charcuterie を供した.しかし,大変驚いたことに,哲学者はそれに手をつけなかった.ラカンは,賓客のナチズムも食べものの好みも気にせず,ひたすら彼れとどのような対話を持ち得るかだけを気にかけていた.ラカンはドイツ語を話せず,ハイデガーはフランス語を識らなかったので,ラカンは Kostas Axelos に通訳をしてくれるよう頼んだ.その場のやりとりは,取り止めのない会話の様相を呈した.次いで,Axelos Beaufret と共に Guitrancourt に残って,『これは何か 哲学とは?』の翻訳にいそしんでいる間,ラカンは,ハイデガー,Sylvia, および Elfriede を連れて,Chartres 大聖堂へ電光石火の訪問に出かけた.ラカンは車を,彼れの面接の速さで[時速150kmで]走らせた.ハイデガーは前部座席に座り,身じろぎもしなかったが,ハイデガー夫人は抗議し続けた.Sylvia は彼女の不安感をラカンに知らせたが,ラカンは動じなかった.帰途,ハイデガーは,Elfriede の苦情が倍加したにもかかわらず,往路と同様に沈黙していた.ラカンは,アクセルをさらに強く踏み込んだ.”

ハイデガーとラカンとの間に対話と呼ぶに価するものが成立しなかったこと,両者の隔たりとすれ違いを強調したいのであろう Roudinesco にとっては,上記の逸話以上に,ハイデガー自身がラカンについて次のように語ったことは,より有意義と思われているだろう.すなわちハイデガーは 1966124日付の Medard Boss 宛の手紙にこう書いている:

“きっとあなたもラカンの分厚い本 (Écrits) を受け取っているでしょう.今のところわたしは,このあからさまにバロックな[珍妙な]テクストの中身を読むには至っていません.聞くところでは,しかし,Paris ではそれは,かつての Sartre の『存在と無』と同様の大評判になっています.”

そして,同じく Boss 宛の1967424日付の手紙では:

“わたしは昨日[旅行から]無事に戻り,今日はもう元気に仕事にとりかかっています.郵便物は,ひどくたまってはいませんでした.しかし,そのなかにラカンの手紙があって,それを同封します 精神科医は精神科医を必要としている [ der Psychiater bedarf des Psychiaters ] とわたしには思えますから.よかったら,それを送り返してくださるときに,わたしのために若干の手短な教示を書き送ってください.[ラカンの言っている]These は,[彼れの1932年の医学]博士論文の本のことです.”

この“精神科医は精神科医を必要としている”は,フランスでは「精神科医を」« des Psychiaters » の定冠詞(それは,「精神科医」が Boss を指していることを明示している)が不定冠詞にすり替えられて,« le psychiatre a besoin d’un psychiatre » と曲訳され,そして文脈から切り離されて一人歩きをさせられた結果,「このような変な本を書くラカンという精神科医は,頭がちょっとおかしいようだから精神科医に診てもらうべきだ」と解釈され,それがハイデガーのラカンに対する評価であると見なされるに至っている.例えば Sollers でさえ,彼れの回顧録 Un vrai roman に“この有名な分析家の Écrits を受け取った際のハイデガーの残酷な言葉”と書いている.ところが,ドイツ語原文をその文脈において読めば明らかなように,ハイデガーは“精神科医であるラカンの読み手または対話相手には,哲学者であるわたしハイデガーよりも,精神科医であるあなたボスの方がふさわしい”と言っているにすぎない そこに“こういうわけのわからんことを言う輩の相手をしている暇は自分には無い”という厄介払いの気持ちが読み取れるにせよ.

ともあれ,ハイデガーが精神分析について如何に考えていたかは,たとえば彼れが講義において発した次のような言葉に表明されている:“19世紀の生物学主義と精神分析との根底に存する全くの存在忘却の形而上学”.精神分析は,人間のなかに本能 [ Trieb ] を想定していることにおいて,存在忘却の産物である科学の一分野としての生物学に属している.精神分析のこの評価は,精神分析の経験無しに,フロイトの著書を“文字通り”に,つまり,その含意の射程を考慮すること無しに字面通りに読むならば,全く正しい.そも,フロイト自身が,精神分析はいつの日にか生物学にその究極的な基盤を見出すことになろうという見通しを表明してさえいた.そして,ハイデガーが精神分析に対するこの評価をその後も変えなかったことは,彼れの Zollikoner Seminare の随所に読み取られ得る.つまり,ハイデガーは,ラカンと出会う以前から,そして以後も,精神分析と精神分析家はそのものとしてはまともに相手にすべき対象ではない,と見なし続けていた.

他方,ラカンの側では,彼れもまたハイデガーを“我が『友』ハイデガー”と括弧付きで呼んでいる.かくして,そのような形で,ラカン自身も,彼れらの間には真に友情と呼びうるようなものは無い,と認めているわけだ.

にもかかわらず,ひとりの lacanien がハイデガーを読むとき,ハイデガーとラカンの歩みは同じトポロジーを成していることが明らかになる.そして,そのことを証すのが本書の目的である.


§ 0.2. 真理のトポロジー

§ 0.2.1. Avec

ところで,ハイデガーとラカンの歩みは同じトポロジーを成していると結論を先取りして主張するとき,まず『ハイデガーとラカン』 Heidegger avec Lacan  とは,Jacques-Alain Miller James Joyce とラカンとについて言っているように,avec で結ばれた二人が手に手を取り合って仲良く歩むということではない.そうではないことは,上記のことからも明白である.そうではなく,而してそれは,ラカンの書のひとつ,Kant avec Sade に対するひとつのこだまである.その書においてラカンはこう述べている:

“C’est donc bien la volonté de Kant qui se rencontre à la place de cette volonté qui ne peut être dite de jouissance qu’à expliquer que c’est le sujet reconstitué de l’aliénation au prix de n’être que l’instrument de la jouissance. Ainsi Kant, d’être mis à la question « avec Sade », c’est-à-dire Sade y faisant office, pour notre pensée comme dans son sadisme, d’instrument, avoue ce qui tombe sous le sens du « Que veut-il ? » qui désormais ne fait défaut à personne.”

“したがって,まさに Kant の意志こそがあの意志の座に見出されるのであり,そして,其の意志が「悦への意志」と言われ得るのは,「それ[悦への意志]は,悦の道具であるにすぎないという代価のうえに異化から回復した主体である」ということを明らかにすることにおいてでしかない.かくして Kant は,« avec Sade » Sade を以て] すなわち,そこにおいて Sade は,我れらの思考にとっても,彼れの sadisme においても,道具の役割を果たしている 問いに付されることにより,«何を欲するか?» と問う問いの感性〈其れを欠く者は,爾後,誰もいない〉に対して何が呈示されるかを打ち明ける.”

この一節において,avec が道具,手段を差し徴す語として用いられていることのみを,今はとりあえず確認しよう.

即ち,Heidegger avec Lacan は,ラカンを以て,ラカンの教えから出発して,ハイデガーを問うひとつの試みである.しかし,勿論それは同時に,ハイデガーを読むことによって,ラカンが問い続けた本事の輪郭をよりはっきりと触知しようとするひとつの試みでもある.


§ 0.2.2. トポロジーとは何か?

1953年のローマ講演以来,ラカンはトポロジーに準拠することをやめなかった.そして,具体的な対象 cross-cap ならびにボロメオ結びを以て,トポロジーを実践し続けた.

他方,ハイデガーは,トポロジーという用語をそのものとして持ち出すことは少なかったが,ギリシャ語の τόπος [場所]に相当するドイツ語 Ort は,ハイデガーの思考の最も重要な概念のひとつを成している.

ハイデガーがトポロジーという語をそのものとして用いた数少ない例のうちからふたつを示すなら:

“Aber das denkende Dichten ist in der Wahrheit die Topologie des Seyns. Sie sagt diesem die Ortschaft seines Wesens.”

“しかし,思考する詩作は,その真理において存才の トポロジーである.それは,存才のために,存才の本有の処有を言う.”

“In der Schirift »Über die Linie« geben Sie eine Ortsbeschreibung des Nihilismus und eine Beurteilung der Lage und der Bewegungsmöglichkeit des Menschen im Hinblick auf den beschriebenen, durch das Bild der Linie bezeichneten Ort. Gewiß bedarf es einer Topographie des Nihilismus, seines Vorganges und seiner Überwindung. Aber der Topographie muß eine Topologie voraufgehen : die Erörterung desjenigen Ortes, der Sein und Nichts in ihr Wesen versammelt, das Wesen des Nihilismus bestimmt und so die Wege erkennen läßt, auf denen sich die Weisen einer möglichen Überwindung des Nihilismus abzeichnen.”

“あなた [ Ernst Jünger ] 著書 »境界線を越えて« のなかで,虚無主義の所在の記述と,その記述された〈境界線の比喩により差し徴された〉所在への注視における人間の態勢と運動可能性についての判断とを提示しています.確かに,虚無主義の Topographie[所在記述],虚無主義の成り行きと克服の Topographie は必要です.しかし,Topographie に対してはトポロジーが先行せねばなりません:斯の在処を処言すること斯ち其の在処は存在と無とをそれらの本有において集存し,虚無主義の本有を規定し,そして,かくして,其こにおいて虚無主義のひとつの可能な克服の諸様態が明瞭になってくるところの道を認識させてくれるのです.”

即ち,ハイデガーの用語としてのトポロジーとは,τόπον λέγειν ないし τοπολογεῖν それを彼れは er-örtern というドイツ語単語を以て翻訳する であり,すなわち,存在の τόπος, Ort[在処],Ortschaft[処有]を言う [ sagen ] こと,それについて,それをめぐって,証言すること 処言 である.そして,この「言う」[ sagen ] は,精神分析においてかかわる「真理を言う」ことと同じである.その「言う」は,「真理そのものがおのづと語るように言う」ことである:“我れ 真理 は語る”.


§ 0.2.3. 存在と無

ところで,何故「存在」そのものではなく「存在の在処ないし処有」なのか?それは,存在そのものは存在事象ではないからである.ひとつの存在事象は,その属性に応じてしかじかのもの 具象的なもの として表象され得る.それに対して,存在そのものは,そのような存在事象ではないがゆえに,ひとつの欠如としてしか思考され得ない.そして,ひとつの欠如を思考するとすれば,ひとつの空座ないし穴 即ち,其こには何も無いところの場処 として思考するほかはない.

いかにも,“das Seyn ist das Nichts”[存才は無である]とハイデガーは言う.しかし,それは,存在そのものが単なる虚無的な無であるということではない.

ハイデガー曰く:“存在論的差異は,存在事象と存在との間の非である”[ die ontologische Differenz ist das Nicht zwischen Seiendem und Sein ]. つまり,“存在と存在事象との相違”[ der Unterschied von Sein und Seiendem ] である存在論的差異において,存在は存在事象に非ず.そして,“無は,存在事象の非[存在事象に非ず]であり,さように,存在事象から発して経験される存在である”[ das Nichts ist das Nicht des Seienden und so das vom Seienden her erfahrene Sein ]. 而して:

“Das Nichts gibt nicht erst den Gegenbegriff zum Seienden her, sondern gehört ursprünglich zum Wesen selbst. Im Sein des Seienden geschieht das Nichten des Nichts.”

“無は,まずもって存在事象の反対概念を供与するのではなく,而して,[存在の]存有そのものに本源的に帰属している.存在事象の存在において,無の無在が成起する.”

この“存才と無との共合帰属性” [ Zusammengehörigkeit von Seyn und Nichts ] の場処こそが,先の引用箇所では“存在と無とをそれらの本有において集存する在処”[ der Ort, der Sein und Nichts in ihr Wesen versammelt ] と呼ばれているものである.それを差し徴すために,ハイデガー は,Abgrund深淵],Ab-grund[深淵-根拠,底無しの根拠,根拠ならざる根拠],Zerklüftung[裂開],Riß[断裂]などの表現を多用する.そしてまた,Lichtung[朗場],das Offene[開在]などの彼れの用語も,存在事象が何も無い「空き地」を表している.

かくして,“存才の本有には非が帰属している”[ Zum Wesen des Seyns gehört das Nicht ]. したがって,存在は,非の記号を以て抹消されることによってしか表記され得ない : Sein .

ハイデガーのこの抹消された存在: Sein を見るや,lacanien あるいは,ハイデガーが1955年に(すなわちちラカンの別荘を訪れたのと同じ年に)発表したこの Zur Seinsfrage[存在の問いのために]というテクストを読むよりも前にラカンが1958年から活用し始める“抹消された主体”の学素 $ と既に出会っていた者は ─,両者の関連性に直観的に気づく.しかし,以下に見るように,如何なる保留も無しに両者の等価性を措定することはできない.


§ 0.2.4. 真理とは何か?

むしろ,この本事に関してハイデガーとラカンとに共通なる用語は あるいは,ラカンがハイデガーから学んだ用語は(そも,ラカンは学ぶことを厭わなかった,如何なる時代の如何なる分野の如何なる年齢の者からであれ;そして,であればこそ彼れは教えることができた)─ 真理,Wahrheit, vérité である.

ところで,真理とは何か?

伝統的には : « veritas est adaequatio rei et intellectus ». しかしJesus Ἐγώ εἰμι ἡ ἀλήθεια 我れは真理である(Jn 14,6) と言うときにそれはそのような真理であるかそしてラカンがフロイト的と形容する[la chose freudienne] として演出する真理の女神が“かくして我れは,汝れらにとり,現れるやいなや逃げ去る者の謎である 礼節という汝れらのけばけばしい古着の下に我れを隠すことにかくもたけたる汝れら人間どもよ”と揶揄しつつ,“我れ 真理 は語る”とことあげるとき,それは“物と知性との対等”と定義される真理であるか?

かくして,Pontius Pilatus Jesus の前で問うたように,もう一度 否,幾度でも — “ τί ἐστιν ἀλήθεια ; [真理とは何か?](Jn 18,38) と問うことは無駄ではない.

では,真理とは何か?

ハイデガー曰く:

“Wenn hier Wahrheit heißt die Lichtung des Seyns als Offenheit des Inmitten des Seienden, (...)”.

“ここで真理とは存在事象の「ただなか」という開在性としての存才の朗場を謂うならば,(…).”

“Das Seyn west in der Wahrheit : Lichtung für das Sichverbergen.”

“存才は,真理 自己秘匿を代理する朗場 において存有する.”

“Die Wahrheit geschieht als die lichtende Verbergung.”

“真理は,朗開する秘匿として成起する.”

“Wahrheit ist als das Ereignis des Wahren die abgründige Zerklüftung, in der das Seiende zur Entzweiung kommt und im Streit stehen muß.”

“真理とは,真事の自有として,深淵的裂開であり,其こにおいて存在事象は不和に至り,そして争わねばならない.”

“Daß eine Lichtung sich gründe für das Sichverbergende, dies meint die Fassung : Wahrheit sei lichtende Verbergung zuerst (vgl. der Abgrund). Das Sichverbergen des Seyns in der Lichtung des Da. Im Sichverbergen west das Seyn.”

“自己秘匿するものの代理として朗場が定拠されるということ,それは,「真理は,まずは,朗開する秘匿である」という把握を謂う(深淵を参照).現場という朗場における存才の自己秘匿.自己秘匿において存才は存有する.”

他方,ラカン曰く:

 

“Je dis toujours la vérité : pas toute, parce que toute la dire, on y arrive pas. La dire toute, c’est impossible, matériellement : les mots y manquent. C’est même par cet impossible que la vérité tient au réel .”

“我れは常に真理を言う:すべてではない なぜなら,真理をすべて言うことはできないから.真理をすべて言うことは不可能である materia 的に:言葉がそのためには欠けている.まさにこの不可能によってこそ,真理は実在に繫がっている.”

 

“Que le grand A comme tel ait en lui cette faille qui tient à ce que l’on ne puisse savoir ce qu’il contient, si ce n’est son propre signifiant, voilà la question décisive où se pointe ce qu’il en est de la faille du savoir. Pour autant que c’est au lieu de l’Autre qu’est appendue la possibilité du sujet en tant qu’il se formule, il est des plus importants de savoir que ce qui le garantirait, à savoir le lieu de la vérité, est lui-même un lieu troué.”

“他Aそのものが己れの内にあの断層〈其れは,他A自身の徴示素以外に他Aが何を保有しているかを知ることはできないということに起因している〉を有しているということ,それは決定的な問いであり,其こにおいて知の断層とは如何なるものかが覗われる.述べられるものとしての主体の可能性は他Aの場処に掛かっている限りにおいて,「主体を保証するかもしれないもの すなわち,真理の場処 は,それ自身,穴の開いた場処である」ということを知ることは,最も重要な事柄に属している.”

 

“Ce qui du fait ne peut se dire est désigné, mais dans le dire, par son manque, et c’est cela, la vérité.”

“事実のうち言われ得ないことは,その欠如により 而して,言において 差し徴される.そして,それこそが真理である.”

 

  次の一節には“真理”という語は出てきていないが,それに関連するふたつの重要用語:“実在”と“不可能在”とが用いられている:

 

“C’est donc là qu’il vous faut saisir que, de ce dire, le sujet est l’effet, la dépendance. Il n’y a sujet que d’un dire. Voilà ce que nous avons à serrer correctement pour n’en point détacher le sujet. Dire d’autre part que le réel, c’est l’impossible, c’est aussi énoncer que c’est seulement le serrage le plus extrême du dire, en tant que le dire introduit l’impossible et non pas simplement l’énonce .”

“したがって,そこにおいてこそあなたたちは把握せねばならない 主体はこの言の効果であり,従属であるということを.主体は,言の主体以外には無い.このことこそ,主体を言から決して切り離さないために正しく握りしめねばならないことである.他方で,「実在とは不可能在である」と言うことは,言は不可能在を導入するのであり,単に不可能在を表言するのではない限りで,「実在とは,ひたすら,言による最も極端な握りしめである」と表言することでもある.”

 

  ハイデガーとラカンからのこれらの引用を読むだけで示唆されるように,そこにおいてかかわる真理は,物と知性との対等としての真理とは全く別のものである.

  とりあえずこの序章においては,次のことを確認しておくにとどめよう,すなわち:真理の座としての他Aの場所 徴示素の宝庫の場処としての他Aの場処 には,穴が開いている.

  それに関連して,ラカンの引用をさらにふたつ付け加えておく:

 

“l’objet a est le trou qui se désigne au niveau de l’Autre comme tel”.

“客体 a は,他Aの水準において差し徴される穴そのものである.”

 

“Ce qui est là tangible de la division du sujet sort précisément de ce point-ci, que, dans une métaphore spatiale, nous appelons un trou, en tant que c’est la structure du cross-cap, de la bouteille de Klein. Ce point est le centre où le a se pose comme absence”.

“そこにおいて,主体の分裂に関して触知可能であるものは,まさに次の地点から出来する,即ち,空間的な比喩[つまり,トポロジックな表現]において我れらが穴と呼ぶところの地点 それが cross-cap, Klein の瓶の構造である限りにおいて.その[穴の]地点は,其こに a が不在として措定されるところの中心である.”

 

  ラカンが彼れの教えにおいて終始,数学的な意味におけるトポロジーに準拠し続けるのは,無意識の主体の真理が存有する場において,まさに穴というトポロジックな構造がかかわっているがゆえにである.

 

 

§ 0.2.5. 我れらの本有の核

 

  遡って,フロイトは,ひとつの心的機関としての無意識のLokalität[場処]を論ずる.そのような心的場処を措定する理論は,psychische Topik[心的場処論]と呼ばれる.

  ところで,Lokalität というラテン語由来の語は,本来のドイツ語で言えば Ortschaft である.そして,Topik はギリシャ語の τόπος から派生した形容詞に由来し,他方,トポロジーは τόπος λόγος とに由来する.

  かくして,フロイト Topik において無意識の Lokalität を論じ,ハイデガーはトポロジーにおいて存在の Ortschaft を説く,という本質的な対応が既に見出される.

  そして,フロイトもハイデガーも,その中心的かつ解脱中心的な場処を,“我れらの本有の核” [ Kern unseres Wesens ] と呼ぶ

 

“ (...) bleibt der Kern unseres Wesens, aus unbewußten Wunschregungen bestehend, unfaßbar und unhemmbar für das Vorbewußte. (...) Unter diesen aus dem Infantilen stammenden, unzerstörbaren und unhemmbaren Wunschregungen (...).”

“(…)我れらの本有の核は,無意識的願望蠢動から成っており,前意識にとっては把握不能かつ制止不能である.(…)小児的なものに由来し,破壊不能かつ制止不能なそれら願望蠢動のうちには(…).”

 

“Der Mensch selbst muß dann als der Seiende, der er ist, im Kern seines Wesens einen λόγος ›haben‹, der als dieser λόγος ›die Beziehung‹ auf den ›Λόγος‹ im Sinne des Seins des Seienden ist.”

“されば人間自身は,人間が其れであるところの存在者として,その本有の核にひとつの λόγος 有して いるはずであり,其れは,その λόγος として,存在事象の存在という意味におけるΛόγοςへの 関繫である.”

 

  さらに,ここでフロイトが願望蠢動と呼んでいる本能請求[ Triebanspruch ] ハイデガーが存在という意味における Λόγοςと呼んでいる存在の請求 [ Anspruch des Seins ] とが,“我れらの本有の核”から発せられて我れらに突きつけられる命 天命と言うときの命 として,如何に同じことを差し徴しているかも,以下に見るだろう.我れらの本有の核の座から何かが我れらに突きつけてくる請求から,我れらは逃れることができない.我れらは,生涯にわたり,何かの請求に答えるよう促され続ける.精神分析もハイデガー 存在論も共に,そのことを我れらに教えている.

 

 

§ 0.2.6. 穴の周りを回りつつ言う

 

  既に十分予感されるように,ハイデガーとラカンとにおけるトポロジーの用語の一致は,単なる見かけのものではない.ハイデガーが Abgrund[深淵],Zerklüftung[裂開],Riß[断裂]などの用語で差し徴すところのものは,ラカンが béance[裂口],coupure[切れめ],fente[裂けめ],refente[裂割],division[分裂],faille[断層]などと呼び,最終的には端的に trou[穴]と呼ぶところのものと同じものであることは,一目瞭然である.また Lichtung[朗場]も,鬱蒼たる森のただなかに開いた樹木の欠如の穴にほかならない.

  そして ハイデガーはトポロジーが Sagen[言]であることを強調しているが,言はまさに精神分析の実践における行為そのものにほかならない.

  ハイデガーにとっても,精神分析においても,言は,「言うは易く行うは難し」におけるごとく行為との対置において「言うだけで,何も行わない」ことではない.

  上に引用したように,ハイデガーは,1944年に行った Herakleitos についての講義において,“存在事象の存在という意味における Λόγος”と言っている.同じことを,その講義にもとづいて1951年に書いた論文 Logosそれを ラカンはフランス語に訳し,1956年,彼れ自身がその編集長であった La Psychanalyse 誌の第一巻にその翻訳を掲載している においても,ハイデガーは改めて言っている:“そも,ὁ Λόγος は,存在事象の存在に対する名である”.したがって,“言語の本有を,存在の本有にもとづいて それどころか,存在そのものとして 思考する”べきである.

  ところで,言語の本有は存在であれば,「言う」とは「存在する」こと,即ち「生きる」こと,「生を実行する」ことそのものにほかならない.

  したがって,存在の処有である τόπος をめぐって「言う」こと τοπολογεῖν, er-örtern, topologuer としてのトポロジーは,最も本来的な生の実行である.そして,それこそが,ハイデガーにとって「哲学する」ことであり,ラカンにとって「精神分析する」ことである.勿論,それは易きことではない.

  精神分析の開始において分析家は分析者に,己れ自身 すなわち,己れの存在,己れの存在欠如 [ manque à être ], 己れの欠在 [ désêtre ] について をめぐって 語るよう求める.その言の行為において展開される精神分析の経験とは,トポロジックに言うなら,普段は見ずに済まそうとしている なぜならそれは不安と眩暈,嫌悪と嘔気を惹起するだろうから 存在の真理という深淵の穴の周りを回りながら,徐々にその中心へまなざしを向け,その穴の縁にできる限り近く迫り,そして最終的にそれを己れ自身の存在欠如の穴と認めることに存する.それは,他Aの欲望を己れの欲望と認めることでもあり,そして,ハイデガーの表現で言えば,存在が我れらの現場存在を自有するすることである.

  穴の周りを回りつつ,精神分析の経験においては,したがって,分析者は,道に迷って同じところを堂々めぐりしている 悪循環に陥っている だけだという感覚をしばしば持つことになる.それは,ハイデガーが auf einem Holzweg zu sein [文字どおりには「森の道を歩んでいる」だが,その意味は,「ひどい勘違い,思い違いをしている」]と呼ぶ事態である.1950年に初版が発行された彼れの論文集 Holzwege の表題は,フランスでは Chemins qui ne mènent nulle part [どこにもたどりつかない道]と訳されている.的を射た翻訳である.

  堂々めぐりについて,ハイデガーはこう言っている:

 

“かくして,我れらはここで常に堂々めぐりをしている.それは,我れらが哲学の領域のなかを動いているという徴である.いたるところで堂々めぐり.哲学のこの堂々めぐりは,またしても,通俗的悟性にとっては厭わしい何事かである.通俗的悟性は,まさに目標へ至ることのみを欲する ものごとをひと摑みに手に入れるように.堂々めぐりをすること それは何にもならない.而してそれは,就中,眩暈を起こさせる.そして眩暈は不気味だ.あたかも無のただなかにぶら下がっているかのような感じだ.だから,とにかくそんな堂々めぐりは無し,そして循環も無し!それゆえ,そのような循環[論法]無しに済ませることは,学問的哲学の野心である.だが ひとつの哲学的問いの際に眩暈に一度も襲われたことのない者は,まだ哲学しつつ問うてはいないのである つまり,まだ堂々めぐりをしていないのである.この堂々めぐりの際に決定的であるのは,通俗的悟性がひたすら見ていること 外周に沿って歩み,そしてその外周上の同じ場所へ戻って来ること ではなく,而して,堂々めぐりにおいて可能な,そして堂々めぐりにおいてのみ可能な「中心そのものへまなざしを向ける」ことである.中心は,しかるものとしては,それをめぐる旋回においてしか明らかにならない.”

 

 

§ 0.3. 哲学する,精神分析する

 

  ハイデガーは,いかにも大学の哲学教授であった.しかし,彼れは,過去の哲人らの遺産を食いつぶすことしかしない大学人哲学者たちからは最も遠い哲学者であった.そのことは,『存在と時間』の“現場存在の分析論”の冒頭の一節 正教授への任命という社会的必要のゆえに急遽書かれた論文のなかの文章とは思えない異様な切迫感を読者に感じさせる一節 を読んだ者には,既に察知されていよう:

 

“Das Seiende, dessen Analyse zur Aufgabe steht, sind wir je selbst. Das Sein dieses Seienden ist je meines. Im Sein dieses Seienden verhält sich dieses selbst zu seinem Sein. Als Seiendes dieses Seins ist es seinem eigenen Sein überantwortet. Das Sein ist es, darum es diesem Seienden je selbst geht.”

其の分析が課題となるところの存在事象即ち,現場存在]とは,我れら各々自身である.この存在事象の存在は,我れ各自のものである.この存在事象の存在において,この存在事象はみづから己れの存在へ関係する.この存在の存在事象として,それは己れ自身の存在へ委ねられている.存在は,この存在事象各自にとって関わりのあるものである.”

 

 存在を思考し続けたハイデガーの思考においてかかわっているのは,存在一般という空虚な「他人事」ではなく,その思考を実行する者自身の存在である.ハイデガーの簡潔にして要を得た伝記を著した Denker は,こう述べている:“我れらは『存在と時間』を「現代という時代においてキリスト者としての実存はなおも可能であるか?」という1919年以来の彼れの生涯の問いへのハイデガーの答えとして考察し得る.»我れは誰であるか?そして,我れは誰であり得ようかという問いは,我れらがみづから直面し得る最も具象的かつ最も個人的な問いである.(…)「存在する」とは何を意義するかを,我れらは我れら各自の生においてのみ経験し得る.”

  ハイデガーにとって大学で哲学を教えるということは,古今の哲学書の注釈を学生に講ずることに存するのではなく,而して,Denker が引用するハイデガーの1919-20年の講義における表現によれば,“哲学を教える者の課題は,学ぶ者らを »自己をその本源性において深めること« へ連れ行くことである.”

  他方,言うまでもなく,精神分析以上に己れ自身を問い,己れの最深部へ至ろうとする実践は無い.実際,ラカンは,精神分析の目標を,“主体滅却”[ destitution subjective ] において主体を存在の真理の穴へ至らしめることに置く.そしてそれは,復活の瞬間であり,そのとき,新たな精神分析家が生まれる ヨハネ福音書(3,6)の表現を借りるなら,ἐκ τῆς σαρκς[肉から]ではなく,ἐκ τοῦ πνεύματος[精気から].

 

  マルティン・ハイデガー (1889-1976) とジャック・ラカン (1901-1981) 両者の生年の差は12年である.彼れらは共に丑年生まれである.彼れらは,どちらも長年にわたり,存在の真理という同じ穴の周りをまさに牛のようにゆっくりと,しかし休むことなく歩み続けた その歩みが堂々めぐりとなることを厭わずに.そして,彼れらの歩みによって取り囲まれ,把握され,握りしめられてゆくことによって,よりいっそうくっきりと輪郭を現してくるその穴について証言することをやめなかった.そのような存在の真理の処言の実践が,彼らの生の航跡を描いている.そのように,彼らは最も本自的に 即ち,存在が彼らを自有するように 生きたのだ.これが「彼れらの歩みは同じトポロジーを成している」という命題の謂わんとするところである.

  人はこう言って済ますかもしれない:要するにラカンはハイデガーから影響を受けたのだ.いかにも.しかし,「影響を受ける」とは如何なる事態か?それについてハイデガーはこう言っている:

 

“Ein Denker hängt nicht von einem Denker ab, sondern er hängt, wenn er denkt, dem zu-Denkenden, dem Sein, an. Und nur insoweit er dem Sein anhängt, kann er für das Einfließen des schon Gedachten der Denker offen sein. Es bleibt darum das ausschließliche Vorrecht der größten Denker, sich be-einflussen zu lassen.”

“ひとりの哲人はもうひとりの哲人に依存するのではなく,しかして,考えるとき,彼れは,考えるべきことに,[即ち]存在に,依帰する.そして,存在に依帰する限りにおいてのみ,彼れは,[ほかの]哲人らの既に考えたことが流れ込んでくる[影響してくる]ことに対して開いていることができる.それゆえ,影響を受けるということは,最も偉大な哲人らの排他的な特権である.”

 

  以下に展開される証明を見れば,ハイデガーも,ラカンが彼の最良の対話相手であることを認めるだろう 最良の『友』ではないとしても.


L'extrait : Introduction de HEIDEGGER AVEC LACAN


INTRODUCTION

 

§ 0.1. Mon « ami » Heidegger

 

  Au moment de la première visite de Heidegger en France en 1955, où il a fait à Cerisy-la-Salle la conférence intitulée Was ist das – die Philosophie ? [ Qu’est-ce que c’est – la philosophie ? ], Lacan l’a invité à sa maison de campagne à Guitrancourt. Judith Miller (1991, pp.86-87) nous présente quelques photos prises à ce moment-là de Heidegger avec Lacan. Roudinesco (1993, pp.299-300) nous en raconte des anecdotes :

 

  “Jacques Lacan ne s’était pas inscrit à la décade de Cerisy, mais il accueillit Martin Heidegger, sa femme Elfriede, Jean Beaufret et Kostas Axelos pour quelques jours à La Prévoté. Avec beaucoup de gentillesse, et bien qu’elle fût choquée par l’antisémitisme de la femme de Heidegger, Sylvia prépara pour le couple des petits déjeuners à l’allemande : elle servit de la charcuterie. Mais, à sa grande surprise, le philosophe n’y toucha pas. Lacan ne se souciait ni du nazisme de son hôte, ni de ses goûts alimentaires, mais du dialogue qu’il pourrait établir avec lui. Comme il ne parlait pas l’allemand et que Heidegger ne connaissait pas le français, il proposa à Kostas Axelos de servir d’interprète. L’échange prit alors l’allure d’une conversation à bâtons rompus. Puis, tandis qu’Axelos restait à Guitrancourt avec Beaufret pour travailler à la traduction de Was ist das – die Philosophie ?, Lacan emmena Heidegger, Sylvia et Elfriede pour une visite éclair à la cathédrale de Chartres. Il conduisit son automobile à la vitesse de ses séances [ à 150 km/hr, selon Roudinesco (1990, p.235) ]. Installé à l’avant, Heidegger ne broncha pas, mais son épouse ne cessa de protester. Sylvia fit part à Lacan des inquiétudes de celle-ci, sans parvenir à l’émouvoir. Au retour, Heidegger demeura tout aussi silencieux, malgré les plaintes redoublées d’Elfriede. Quant à Lacan, il appuya de plus belle sur l’accélérateur.”

 

  Roudinesco qui semble vouloir mettre l’accent sur des aspects de dyscommunication entre Heidegger et Lacan, devrait trouver plus intéressant ce que Heidegger dit de Lacan dans ses échanges épistolaires avec Medard Boss.

  D’abord Heidegger (1966, p.348) écrit à Boss dans sa lettre du 4 décembre 1966 :

 

“Je suppose que vous avez certainement reçu, vous aussi, ce livre épais de Lacan (Écrits). Pour le moment, je n’arrive pas moi-même à lire dans ce texte qui est ouvertement baroque. Mais j’entends dire qu’à Paris il fait sensation de la même manière qu’autrefois L’être et le néant de Sartres.”

 

  Et puis, dans sa lettre du 24 avril 1967 (Heidegger, 1967, p.350) :

 

“Hier je suis rentré chez moi sain et sauf, et aujourd’hui déjà au travail avec entrain. La quantité de courriers arrivés en mon absence est tolérable, mais il s’y trouve une lettre de Lacan que je vous transmets ci-jointe – il me semble que le psychiatre a besoin du psychiatre. Peut-être vous m’écrirez quelques indications courtes quand vous me la renverrez. Quand il dit la thèse, il s’agit d’un exemplaire de sa dissertation de doctorat.”

 

  D’où on a conclu que Heidegger tenait Lacan pour un fou à avoir écrit des textes tellement bizzares que ses Écrits. Même Sollers (2007, p.192) dit : « On se souvient du mot cruel de Heidegger à la réception des Écrits (...) ».

  Mais il faut remarquer que Heidegger dit là que le psychiatre a besoin du psychiatre [ der Psychiater bedarf des Psychiaters ], non pas que le psychiatre a besoin d’un psychiatre, tel que Roudinesco (1993, p.306) cite ces mots en traduction française. Dans le texte original, on voit bien que Heidegger veut dire simplement à Boss que lui, le psychiatre Boss, serait un meilleur interlocuteur pour le psychiatre Lacan que le philosophe Heidegger, même si on peut lire entre les lignes que, pour pouvoir se concentrer à son propre travail, Heidegger veut se débarraser de Lacan qu’il trouve « ouvertement baroque ».

  En tout cas, Heidegger exprime ce qu’il pense de la psychanalyse dans des propos qu’il tient dans ses cours. Par exemple : « la métaphysique qui fait le fondement du biologisme du 19ème siècle et de la psychanalyse, oublie complètement l’être » [ die dem Biologismus des 19. Jahrhunderts und der Psychoanalyse zugrundeliegende Metaphysik der völligen Seinsvergessenheit ] (Heidegger, 1942-43, p.226).

  Ainsi voit-on qu’il est dans l’opinion que la psychanalyse qui suppose un fonctionnement essentiel de l’instinct [ Trieb ] dans l’homme appartient tout à fait à la biologie en tant qu’un domaine de la science moderne qui n’est rien d’autre qu’un produit de l’oubli blâmable de l’être.

  Et on peut dire qu’une opinion telle que la sienne sur la psychanalyse est tout à fait juste, pour autant qu’on lit des ouvrages de Freud « à la lettre », c’est-à-dire sans aucune expérience analytique et sans tenir compte d’aucune portée que puisse avoir la pratique psychanalytique. Car Freud (1914, pp.143-144) lui-même affirme : « il faut se souvenir que toute notre psychologie provisoire doit se replacer un jour sur le fondement de supports organiques » [ man muß sich daran erinnern, daß all unsere psychologischen Vorläufigkeiten einmal auf den Boden organischer Träger gestellt werden sollen ].

  Que Heidegger ne change jamais son jugement sur la psychanalyse, se vérifie par exemple dans les séminaires qu’il a faits à Zollikon de 1959 à 1969 à l’invitation de Boss.

  Donc Heidegger considère depuis toujours, et avant et après sa connaissance de Lacan, que ni la psychanalyse ni un psychanalyste ne méritent qu’il s’y intéresse sérieusement.

  Et Lacan, de sa part, il l’appelle : mon « ami » Heidegger (1973a, p.554). Ainsi, de cette manière, Lacan reconnaît, lui aussi, qu’il n’y a pas entre eux d’amitié digne de ce nom.

  Cependant, malgré tout cela, un lacanien qui lit Heidegger trouve que les pas de Heidegger et ceux de Lacan tracent exactement la même topologie. La démonstration en fera l’objet des propos qui suivent.

 

 

§ 0.2. La topologie de la vérité

 

§ 0.2.1. Qu’est-ce que la topologie ?

 

  Comme on le sait, depuis son Rapport de Rome Lacan ne cesse pas de se référer à la topologie, et il la pratique lui-même avec son cross-cap et ses noeuds borroméens.

  Et Heidegger, de sa part, bien qu’il ne se serve dans ses textes de ce terme de topologie comme tel que peu de fois, le lieu [ Ort ] et la localité [ Ortschaft ] font des notions essentielles dans ses parcours de penser.

  Voyons d’abord deux passages où Heidegger utilise le terme de topologie de façon explicite :

 

“Mais la poésie qui pense est en vérité la topologie de l’être. Elle lui dit la localité de son essence” [ Aber das denkende Dichten ist in der Wahrheit die Topologie des Seyns. Sie sagt diesem die Ortschaft seines Wesens ] (Heidegger, 1947, p.84).

 

“Dans votre écrit Au-delà de la ligne, vous [ Ernst Jünger ] donnez une description du lieu du nihilisme et un jugement sur la position et la possibilité de mouvement qu’aurait l’homme au regard de ce lieu-là que vous décrivez et dessinez au moyen de l’image de ligne. Certes on a besoin d’une topographie du nihilisme, de son développement et de son dépassement. Mais il faut qu’une topologie précède cette topographie-là : la topologie qui topologue ce lieu-là qui met l’être et le rien ensemble dans leur essence, qui détermine l’essence du nihilisme et qui laisse ainsi reconnaître les voies où se dessinent les modes d’un dépassement possible du nihilisme” [ In der Schirift »Über die Linie« geben Sie eine Ortsbeschreibung des Nihilismus und eine Beurteilung der Lage und der Bewegungsmöglichkeit des Menschen im Hinblick auf den beschriebenen, durch das Bild der Linie bezeichneten Ort. Gewiß bedarf es einer Topographie des Nihilismus, seines Vorganges und seiner Überwindung. Aber der Topographie muß eine Topologie voraufgehen : die Erörterung desjenigen Ortes, der Sein und Nichts in ihr Wesen versammelt, das Wesen des Nihilismus bestimmt und so die Wege erkennen läßt, auf denen sich die Weisen einer möglichen Überwindung des Nihilismus abzeichnen ] (Heidegger, 1955, p.412).

 

  Donc chez Heidegger la topologie est l’acte d’er-örtern [ < Ort ] ou de topologuer l’être. Et topologuer, τοπολογεῖν, τόπον λέγειν, c’est dire le lieu ou la localité de l’être. Seulement il s’agit là de dire comme on dit la vérité dans la psychanalyse de façon que la vérité prenne la parole elle-même : « Moi la vérité, je parle » (Lacan, 1955b, p.409).

 

 

§ 0.2.2. L’être et le rien

 

  Mais pourquoi « dire le lieu ou la localité de l’être », non pas « dire l’être » tout court ? C’est parce que l’être comme tel n’est pas un étant. Un étant se laisse représenter comme tel ou tel selon ses attributs ou selon des prédicats qui peuvent s’en dire. Par contre, l’être lui-même n’étant pas un étant, ne se laisse penser que comme un manque. Et un manque ne se laisse penser que comme un trou ou une place vide, c’est-à-dire comme un lieu où il n’y a rien.

  Certes, « l’être est le rien » [ das Seyn ist das Nichts ] (Heidegger, 1938-39a, p.58). Mais cela ne veut pas dire que l’être n’est rien.

  Heidegger (1949a, p.123) dit : « La différence ontologique est le non entre l’étant et l’être » [ die ontologische Differenz ist das Nicht zwischen Seiendem und Sein ]. C’est-à-dire, la différence ontologique qui est « la distinction de l’être et de l’étant » [ der Unterschied von Sein und Seiendem ] (1929b, p.134) veut dire que l’être n’est pas un étant. Et « le rien est le non de l’étant, et ainsi le rien est l’être qu’on éprouve à partir de l’étant » [ das Nichts ist das Nicht des Seienden und so das vom Seienden her erfahrene Sein ] (1949a, p.123).

  Mais « le rien ne présente pas d’abord le contre-concept de l’étant, mais il appartient originairement à l’essence même. La nihilation du rien [ c’est-à-dire, que le rien nihile, autrement dit, que le rien est en tant que le rien ] a lieu dans l’être de l’étant » [ das Nichts gibt nicht erst den Gegenbegriff zum Seienden her, sondern gehört ursprünglich zum Wesen selbst. Im Sein des Seienden geschieht das Nichten des Nichts ] (Heidegger, 1929a, p.115).

  Le lieu de cette « co-appartenace de l’être et du rien » [ Zusammengehörigkeit von Seyn und Nichts ] (Heidegger, 1936-38, p.246) est le lieu que Heidegger (1955, p.412) appelle « le lieu qui met l’être et le rien ensemble dans leur essence » [ der Ort, der Sein und Nichts in ihr Wesen versammelt ]. Pour le désigner, Heidegger se sert de termes divers qui signifient tous une solution de continuité, par exemple, Abgrund (abîme, abysse), Riß (déchirure), Zerklüftung (fente). Et ses termes de Lichtung (clairière) et de das Offene (le lieu ouvert) signifient le lieu libre où il n’y a rien.

  Ainsi « appartient à l’essence de l’être le non » [ Zum Wesen des Seyns gehört das Nicht ] (Heidegger, 1936-38, p.267). Donc das Sein ne s’écrit que barré avec le signe du non : [ le mot Sein biffé par une croix de saint André] (Heidegger, 1955, pp.410-411). Je l’écrirai pour la raison de facilité technique Sein. Cela s’écrit en français être.

  Un lacanien s’imaginerait que le mathème lacanien de $ serait venu de cette écriture heideggérienne de Sein qui apparaît dans un texte de 1955 Zur Seinsfrage [ Pour la question de l’être ], tandis que Lacan commence à se servir de son $ en 1958. Mais, comme nous le verrons, l’équivalence de ces deux signes ne se pose pas sans réserve.

 

 

§ 0.2.3. Qu’est-ce que la vérité ?

 

  Pour ce qui concerne ce sujet, le terme auquel se référer est le terme commun aux deux, ou le terme que Lacan aurait appris de Heidegger (car Lacan n’hésite pas à apprendre, et cela de n’importe qui et à n’importe quel domaine de savoir, et c’est à cause de cela qu’il peut enseigner), c’est le terme de vérité.

  Or, qu’est-ce que la vérité ?

  Dans la tradition philosophique, « veritas est adaequatio rei et intellectus » (Heidegger, 1930, p.180). Mais s’agirait-il d’une telle vérité, quand Jésus dit : « JE SUIS la vérité » (Jn 14,6), ou encore quand la déesse Vérité que Lacan (1955b, pp.408-409) met en scène dans son rôle de la Chose freudienne se moque des hommes en disant : « Je suis donc pour vous l’énigme de celle qui se dérobe aussitôt qu’apparue, hommes qui tant vous entendez à me dissimuler sous les oripeaux de vos convenances. (...) Mais pour que vous me trouviez où je suis, je vais vous apprendre à quel signe me reconnaître. Hommes, écoutez, je vous en donne le secret. Moi la vérité, je parle » ?

  Donc il n’est pas vain de poser de nouveau la question, comme le fait Ponce Pilate devant Jésus, de savoir ce qu’est la vérité : τί ἐστιν ἀλήθεια ;

  Heidegger (1936-1938) dit :

 

“Si la vérité veut dire ici la clairière de l’être en tant qu’ouverture de l’au-milieu de l’étant, (...)” [Wenn hier Wahrheit heißt die Lichtung des Seyns als Offenheit des Inmitten des Seienden, (...)] (p.327) ;

 

“L’être demeure dans la vérité : clairière à la place de l’auto-celation [ celation à partir du verbe celer : nous y reviendrons dans le premier chapitre ]” [ Das Seyn west in der Wahrheit : Lichtung für das Sichverbergen ] (p.29) ;

 

“La vérité a lieu en tant que celation clairante” [ Die Wahrheit geschieht als die lichtende Verbergung ] (p.30) ;

 

“La vérité, en tant que l’avèrement du vrai, est la fente abyssale, où l’étant arrive en désaccord et doit se mettre en différend” [ Wahrheit ist als das Ereignis des Wahren die abgründige Zerklüftung, in der das Seiende zur Entzweiung kommt und im Streit stehen muß ] (p.331) ;

 

“Qu’une clairière se fonde à la place de l’auto-celation, cela veut dire que la vérité est surtout la celation clairante. L’être se cache dans la clairière du [ le de l’être-là ]. L’être demeure en auto-celation” [ Daß eine Lichtung sich gründe für das Sichverbergende, dies meint die Fassung : Wahrheit sei lichtende Verbergung zuerst. Das Sichverbergen des Seyns in der Lichtung des Da. Im Sichverbergen west das Seyn ] (p.342).

 

  D’autre part, Lacan dit :

 

“Je dis toujours la vérité : pas toute, parce que toute la dire, on y arrive pas. La dire toute, c’est impossible, matériellement : les mots y manquent. C’est même par cet impossible que la vérité tient au réel” (1973b, p.509) ;

 

“Que le grand A comme tel ait en lui cette faille qui tient à ce que l’on ne puisse savoir ce qu’il contient, si ce n’est son propre signifiant, voilà la question décisive où se pointe ce qu’il en est de la faille du savoir. Pour autant que c’est au lieu de l’Autre qu’est appendue la possibilité du sujet en tant qu’il se formule, il est des plus importants de savoir que ce qui le garantirait, à savoir le lieu de la vérité, est lui-même un lieu troué” (1968-69, p.59) ;

 

“Ce qui du fait ne peut se dire est désigné, mais dans le dire, par son manque, et c’est cela, la vérité” (1968-69, p.67).

 

  Et encore un autre passage de Lacan, où n’apparaît pas le terme de vérité, mais deux autres termes aussi essentiels que celui-là, c’est-à-dire le réel et l’impossible :

 

“C’est donc là qu’il vous faut saisir que, de ce dire, le sujet est l’effet, la dépendance. Il n’y a sujet que d’un dire. Voilà ce que nous avons à serrer correctement pour n’en point détacher le sujet. Dire d’autre part que le réel, c’est l’impossible, c’est aussi énoncer que c’est seulement le serrage le plus extrême du dire, en tant que le dire introduit l’impossible et non pas simplement l’énonce” (1968-69, p.66).

 

  Une lecture de ces citations-là de Heidegger et de Lacan nous indique déjà qu’il s’agit chez eux de la vérité toute autre que la vérité en tant que l’accord des choses et des pensées.

  Pour le moment, dans cette introduction, nous nous contentons de constater seulement que le lieu de l’Autre en tant que la place de la vérité est un lieu troué. Et il s’y ajoute deux autres citations de Lacan :

 

“l’objet a est le trou qui se désigne au niveau de l’Autre comme tel” (1968-69, p.60) ;

 

“Ce qui est là tangible de la division du sujet sort précisément de ce point-ci, que, dans une métaphore spatiale [ c’est-à-dire, dans la topologie ], nous appelons un trou, en tant que c’est la structure du cross-cap, de la bouteille de Klein. Ce point est le centre où le a se pose comme absence” (1968-69, p.61).

 

  Si Lacan ne cesse pas tout au long de son enseignement de se référer à la topologie au sens mathématique du terme, c’est parce qu’il s’agit dans le champ où gît la vérité du sujet de l’inconscient, précisément de la structure topologique du trou.

  C’est notre ami, le docteur N. Fujiwara, qui est l’auteur de ce mot d’esprit : dans le trou se cache la truth.

 

 

§ 0.2.4. Le noyau de notre être

 

  On sait que Freud (par ex., 1900, p.615) traite de la localité [ Lokalität ] de l’inconscient dans sa construction théorique qu’il appelle la topique psychique [ die psychische Topik ] (par ex., Freud, 1915c, p.272). Donc on trouve déjà là une correspondance essentielle entre la psychanalyse et l’ontologie heideggérienne qui est, comme on vient de le voir, la topologie de l’être où il s’agit de dire sa localité [ Ortschaft ], tandis que dans la localité de l’inconscient freudien ça parle en tant que demande pulsionnelle [ Triebanspruch ] (par ex., Freud, 1926, p.200). Encore plus, eux, Freud et Heidegger, ils appellent, tous les deux, cette localité à la fois centrale et excentrique der Kern unseres Wesens [ le noyau de notre être ], l’expression freudienne que Lacan nous a bien soulignée :

 

der Kern unseres Wesens qui consiste en grouillement de désirs inconscients, demeure impossible à saisir et à inhiber pour le préconscient. (...) Sous ce grouillement de désirs qui viennent de facteurs infantiles et qui sont impossibles à détruire et à inhiber (...)” (Freud, 1900, p.609) ;

 

“Alors l’homme lui-même, en tant que l’étant qu’il est, doit « avoir » im Kern seines Wesens [ dans le noyau de son essence ] un λόγος qui, en tant que ce λόγος-là, est une « relation » au « Λόγος » au sens de l’être de l’étant” (Heidegger, 1944, p.294).

 

  Et encore plus, nous verrons que, tout comme dans l’inconscient freudien ça parle en tant que demande pulsionnelle, ce que Heidegger appelle là « le Λόγος au sens de l’être de l’étant » nous parle en tant que la demande de l’être [ der Anspruch des Seins ] (par ex., Heidegger, 1951-52, p.34). Ainsi, de la place du noyau de l’être de l’homme, ça nous adresse sa demande à laquelle nous ne pouvons pas nous dérober, et à laquelle ça nous met en demeure de répondre tout au long de notre vie. C’est ce que nous enseignent et la psychanalyse et l’ontologie heideggérienne.

 

 

§ 0.2.5. Dire en tournant autout du trou

 

  Ainsi entrevoit-on déjà que chez Heidegger et Lacan, la coïncidence terminologique de topologie n’est pas du tout gratuite. Il s’agit là du même trou que Heidegger appelle Abgrund [ abîme, abysse ], Riß [ déchirure ] et Zerklüftung [ fente ], et que Lacan appelle béance, coupure, fente, refente, division et faille. Et le terme heideggérien de Lichtung [ clairière ] signifie aussi un lieu ouvert où il n’y a pas d’arbre – c’est-à-dire un trou – dans une forêt dense.

  La définition heideggérienne de la topologie est de dire la localité de l’être. Et le dire est l’acte même dont il s’agit dans la pratique de la psychanalyse.

  Comme nous venons de le voir, dans son cours fait en 1944 au sujet d’Héraclite, Heidegger dit : « le ‹ Λόγος › au sens de l’être de l’étant ». Dans son article Logos qu’il a écrit en 1951 à partir de ce cours-là et que Lacan a traduit en français et publié en 1956 dans le premier volume de la Psychanalyse, Heidegger (1951, p.233) dit de nouveau : « ὁ Λόγος est le nom pour l’être de l’étant ». Donc il faut « penser l’essence du langage à partir de l’essence de l’être, voire [ il faut penser l’essence du langage ] comme l’être même » (ibid.).

  Or, si l’essence du langage est l’être même, l’acte de dire n’est rien d’autre que d’être, c’est-à-dire, de vivre.

  Donc la topologie en tant que l’acte de topologuer l’être – c’est-à-dire, de dire la localité de l’être, de dire en tournant autour du trou de l’être – est la pratique la plus essentielle de vivre. Et cela n’est rien d’autre que philosopher pour Heidegger et psychanalyser pour Lacan.

  Au début d’une cure psychanalytique, l’analyste demande à l’analysant de parler de lui-même, de son propre être qui est en vérité un manque à être ou un désêtre. L’expérience analytique qui se déroule par cet acte de dire, consiste, du point de vue topologique, à tourner autour de l’abîme de l’être qu’on veut d’ordinaire méconnaître à cause de l’angoisse et du dégoût qu’une expérience de cet abîme susciterait, et à diriger peu à peu ses regards vers le centre de ce trou pour le reconnaître enfin comme le trou de son propre manque à être de sorte qu’on se l’approprie, ou, pour le dire mieux à la manière de Heidegger, de sorte que l’être nous ap-proprie [ er-eignen, an-eignen ].

  En tournant autour du trou, l’analysant peut souvent avoir l’impression qu’il ne fait que tourner en rond pour aboutir nulle part – ce que Heidegger appelle auf einem Holzweg zu sein [ d’être sur une voie forestière : on sait que le titre de son ouvrage Holzwege s’appelle en traduction française Chemins qui ne mènent nulle part ]. Et au sujet de la marche en rond qui fait ce qu’on appelle le cercle vicieux, Heidegger (1929-30, pp.266-267) dit :

 

“Donc ici nous marchons toujours en rond. C’est un signe de ce que nous marchons dans le domaine de la philosophie. Partout un tourner-en-rond. Cette marche-en-rond de la philosophie est encore quelque chose qui déplaît à l’entendement vulgaire. Celui-ci ne veut que parvenir au but de sorte qu’on saisisse des choses sous la main. Marcher en rond – ça ne mène à rien. Mais surtout ça fait des vertiges, et un vertige est unheimlich. On dirait qu’on est suspendu au milieu du rien. Donc certainement pas de cette marche-en-rond et pas de cercle non plus ! Et c’est déjà ce que dit une règle de la logique générale. Donc une philosophie scientifique met son point d’honneur à se passer de ce cercle. Mais – celui que le vertige n’a pas encore pris du tout dans son questionnement philosophique, n’a pas encore questionné du tout de manière à philosopher, c’est-à-dire, il n’a pas encore marché du tout en rond. Dans cette marche-en-rond, ce qui fait l’importance décisive n’est pas la seule chose que l’entendement vulgaire voie – c’est-à-dire, de marcher au long de la périphérie et de revenir au même point de la périphérie –, mais ce qui est possible dans la marche-en-rond et ce qui n’est possible que dans la marche-en-rond, c’est-à-dire, de regarder dans le centre comme tel. Le centre en tant que tel ne se révèle que si l’on marche en rond autour de ce centre.”

 

 

§ 0.3. Philosopher et psychanalyser

 

  Certes, Heidegger est un professeur universitaire de philosophie. Mais il est un philosophe le plus éloigné des universitaires qui ne font que manger et user des héritages de penseurs d’autrefois. On peut le présentir si on lit seulement des premières phrases de la § 9 Le thème de l’analytique de l’être-là de son Être et temps, – des phrases qui sont imprégnées d’une sorte d’impulsion étrange et déconcertante pour un ouvrage écrit pour une nécessité extérieure de son obtention de la chaire professorale :

 

“L’étant que nous avons pour tâche d’analyser, nous le sommes à chaque fois nous-mêmes. L’être de cet étant est à chaque fois mien. Dans son être, cet étant se rapporte lui-même à son être. En tant qu’étant de cet être, il est remis à son propre être. C’est de son être même que, pour cet étant, il y va à chaque fois.” (Traduction par Emmanuel Martineau.)

 

  L’être dont il s’agit dans le parcours de penser de Heidegger qui ne se lasse pas de penser à l’être, n’est pas un concept vide de l’être en général, mais l’être même de celui qui y pense lui-même.

  Selon Denker (2011, p.73) qui est l’auteur d’une biographie concise de Heidegger, « nous pouvons considérer Être et temps comme une réponse de Heidegger à la question vitale qu’il s’est posée en 1919 : une existence chrétienne est-elle encore possible dans le temps moderne ? La question : ‹ qui suis-je et qui pourrais-je être ? › est une question la plus concrète et la plus personnelle avec laquelle nous puissions nous confronter nous-même. (...) Le fait que je sois – que signifie-il ? Nous ne pouvons éprouver cette signification que dans notre propre vie ».

  Pour Heidegger, d’enseigner la philosophie dans l’université ne consiste pas à faire des commentaires d’oeuvres philosophiques aux étudiants, mais, selon des mots de Heidegger même cités par Denker (2011, pp.55-56), « la tâche de celui qui enseigne la philosophie est d’amener ceux qui l’apprennent à ‹ une approfondissement du soi-même pour atteindre à son essentialité originaire › [eine Vertiefung des Selbst in seine Ursprünglichkeit] » (Heidegger, 1919-20, p.263).

  D’autre part, il n’y a pas de pratique qui mette le soi-même en cause pour en parvenir au fondement de façon plus radicale que la psychanalyse. Et Lacan (1967a, p.584) nous formule qu’à la fin de l’analyse, le sujet atteint à sa propre destitution où il se réalise dans la vérité de son être. Et ce sera le moment d’une résurrection où naîtra un psychanalyste nouveau – non pas ἐκ τῆς σαρκός [ de la chair ], mais ἐκ τοῦ πνεύματος [ de l’esprit ], si on peut se réfèrer à l’Évangile de saint Jean (3,6).

  Martin Heidegger (1889-1976) et Jacques Lacan (1901-1981) – la différence de leurs âges est douze ans. Ils sont nés, tous les deux, à l’année du boeuf selon le symbolisme sino-japonais du zodiaque. En effet, comme des boeufs, lentement, mais inlassablement, ils ne cessent pas de marcher autour du trou de la vérité de l’être, sans se soucier qu’ils tournent en rond, pour témoigner de ce trou dont le bord se dessine de plus en plus nettement au fur et et à mesure que leur marche-en-rond l’entoure et cerne. Cette pratique de topologuer la vérité de l’être – dire le lieu de sa vérité – trace le parcours de leur vie qu’ils ont vécu de façon la plus ap-propriée [ eigentlich ], c’est-à-dire, de sorte que l’être les ap-proprie. Voilà ce que voudrait dire la proposition que leur pas font la même topologie.

  On se contenterait de dire en un mot que Lacan a subi l’influence de Heidegger. Certes. Mais que veut-il dire, ce « subir une influence » ? À ce propos, Heidegger (1951-52, p.39) dit :

 

“Un penseur ne dépend pas d’un autre penseur, mais il dépend, quand il pense, de ce qui est à penser, c’est-à-dire, de l’être. Et c’est seulement pour autant qu’il dépend de l’être, qu’il peut être ouvert à l’in-flux de ce qu’un autre penseur a déjà pensé. Donc de se laisser in-fluencer est le privilège exclusif d’un penseur le plus grand” [ Ein Denker hängt nicht von einem Denker ab, sondern er hängt, wenn er denkt, dem zu-Denkenden, dem Sein, an. Und nur insoweit er dem Sein anhängt, kann er für das Einfließen des schon Gedachten der Denker offen sein. Es bleibt darum das ausschließliche Vorrecht der größten Denker, sich be-einflussen zu lassen ].

 

  Après les démonstrations qui suivent, Heidegger ne se refusera plus à admettre que Lacan est son meilleur interlocuteur de son temps, même s’il n’est pas son meilleur « ami ».

 





L'École lacanienne
de Tokyo
東京ラカン塾


所在地: 東京都 文京区
最寄り駅: 都営三田線白山駅

téléphone : +81 90 16 50 22 07
courriel : info@lacantokyo.org