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Jacques Lacan の教えは,精神分析を純粋に基礎づけることに存します.精神分析否定存在論にもとづく存在の真理の実践的現象学である,と規定されます.

精神分析家,小笠原晋也が主宰する東京ラカン塾では,日本で唯一,ラカン派精神分析を本当に経験し,学ぶ機会を提供しています.つまり,あなたがみづから精神分析を経験する機会と,ラカンの教えを学ぶ機会とです.

2017年03月25日,Guitrancourt の Lacan の墓にて.
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フロイト,ハイデガー,ラカン と 否定存在論

上に肖像を掲げた三人の人物を御存じですか? 左下はジークムント・フロイト (Sigmund Freud, 1856-1939), 右下はマルティン・ハイデガー (Martin Heidegger, 1889-1976), そして,中央上部で微笑むのはジャック・ラカン (Jacques Lacan, 1901-1981). いずれも20世紀の最も偉大な哲人のうちに数えられます.

そして,三人の背景をなす三つ輪は,ミラノの貴族ボロメオ (Borromeo) 家の紋章にちなんで「ボロメオ結び」(noeud borroméen) と呼ばれます.

フロイトは,19世紀末,神経症の臨床経験に基づいて,人間の本有の核に「無意識」を発見し,その発見を可能にした独自の治療実践を「精神分析」と名づけました.

ハイデガーは,哲学と神学の伝統から出発して,1927年の『存在と時間』以来,存在の真理を根本存在論的 (fundamentalontologisch) に問い続けました.

ラカンは,20世紀後半,フロイトの精神分析をハイデガーの存在論により基礎づけ直しました.それによって精神分析は,その本有において,存在の真理の実践的現象学として捉え直されることができました.

すなわち,精神分析は,単なる心理学理論や精神病理の治療方法であるのではなく,而して,言語に住まう存在としての人間に,日常態における存在論的異状構造 (aliénation) を解体して,最も本来的な自身の存在の真理へ「立ち返る」ことを可能にする普遍的な実践です.

存在の真理の実践的現象学としての精神分析においては,フロイトとハイデガーとラカンは,ボロメオ結びの三つ輪のように,相互に独立していながらもひとつの結びめを成しています.

彼ら三人のボロメオ結びは何に存するのか? わたしはそれを「否定存在論」(l'ontologie apophatique, die apophatische Ontologie) と名づけます.その否定存在論を説明するために,ラカンは,存在論的トポロジー (la topologie ontologique, die ontologische Topologie) を展開しました.


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