News & Messages

Seminar on Lacanian Psychoanalysis : Freud, Heidegger, Lacan and Monotheistic Religions

Seminar of Tokyo Lacanian School
The third trimester of the year 2018-2019
Freud, Heidegger, Lacan and the Monotheistic Religions


We will resume the third trimester of our Seminar on Lacanian Psychoanalysis on the 5th April. The subject will be : Freud, Heidegger, Lacan and Monotheistic Religions.

It has been said that Freud, Heidegger and Lacan are all atheist criticising enslaving effects of religions, but we know that Freud spent four years just before his death to write "Moses and Monotheism", that Heidegger talked about coming of the last God, and that Lacan compared psychoanalysts to Catholic saints. We could say Judaism and monotheistic religions might constitute the hidden center of their thinking.

It seems that both Jewish people and Heidegger have a great confidence in their own language, that is, Hebrew and German respectively, in the sense that they believe absolutely that God and Being (Seyn) speak to them in their own mother tongue : the confidence the Japanese people can never have in the Japanese language. Then what would be the possibly intrinsic relationship of Heidegger's thinking with his antisemitism ?

About the necessary relationship between Judaism and psychoanalysis Lacan says the literal tradition of Tanakh and the hermeneutic tradition of Midrash are constituting the condition of possibility of Freudian psychoanalysis. What does he exactly mean by that remarks ?

We'd like to treat such questions in terms of the apophatic ontology constituting the foundation of psychoanalysis and of a possibility of overcoming the contemporary nihilism. We'd like also to develop some criticism against Japanese Buddhism.

Time and place of the first session : Friday the 5th April 2019 starting on 19:30 in the room 2C of the Bunkyo Kumin Center (BKC).

No charge and no application required.

Schedule :

I. 5 April (19:30-21:00, the room 2C, BKC) : On the apophatic ontology and its topology as postulate for questioning about monotheistic religions (I)

II. 12 April (19:30-21:00, the room 2B, BKC) : On the apophatic ontology and its topology as postulate for questioning about monotheistic religions (II)

III. 10 May (19:30-21:00, the room 2C, BKC) : On Freud's "The Man Moses And The Monotheistic Religion" (I)

IV. 17 May (19:30-21:00, the room 2C, BKC) : On Freud's "The Man Moses And The Monotheistic Religion" (II)

V. 24 May (19:30-21:00, the room 2C, BKC) : On Heidegger's Antisemitism (I)

VI. 31 May (19:30-21:00, the room 2C, BKC) : On Heidegger's Antisemitism (II)

VII. 7 June (19:30-21:00) : On Lacanian Psychoanalysis and Christianism (I)

VIII. 14 June (19:30-21:00) : On Lacanian Psychoanalysis and Christianism (II)

IX. 21 June (19:30-21:00): On Lacanian Psychoanalysis and Christianism (III)

X. 28 June (19:30-21:00) : On Lacanian Psychoanalysis and Christianism (IV)


Luke S. Ogasawara
e-mail : ogswrs@gmail.com
tel. 090-1650-2207

2019年03月20日

東京ラカン塾 精神分析セミネール 04月05日開講:フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教

フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教

4月05日に開始する 東京ラカン塾 精神分析セミネール 2018-2019年度の第三学期の表題は,当初,「フロィト,ハィデガー,ラカン & ユダヤ教」としていましたが,Freud の著作 Der Mann Moses und die monotheistische Religion[モーゼという男と唯一神の宗教]にならって,「フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教」に改めます.

ここで,「一神教」ないし「唯一神の宗教」という名称が指しているのは,勿論,ユダヤ教と,そこから派生したキリスト教およびイスラム教のことです.ただ,わたし自身はカトリックであり,イスラム教についてはまったく無知ですから,今回は,おもにキリスト教とユダヤ教について問うて行きたいと思います.

今,全世界でユダヤ教徒は約千五百万人(世界の総人口の約 0.2 %)しかいませんが,Pew Research Center の調査によると,キリスト教徒は世界の総人口の 31.2 %, イスラム教徒は 24.1 % と見積もられています.合計すると,Abrahamic religions[旧約聖書の創世記の物語に登場するユダヤ民族とユダヤ教の祖 Abraham を信仰上の祖として共有するユダヤ教,キリスト教,イスラム教]の信者の数は,世界の総人口の 55.5 % となります.ちなみに,仏教徒は世界の総人口の 6.9 %, ヒンズー教徒は 15.1 % です.また,今のところ,日本人(現行法規において日本国籍を有すると規定される者)の数は,世界の総人口の約 1.7 % です(今後ますます減少して行くことは確実です).

世界の総人口の 0.1 - 0.2 % をしか成していないまったくの少数民族であるユダヤ人は,しかし,歴史的な試練 — 紀元前 586 年に新バビロニア帝国によって Jerusalem と神殿は破壊され,支配階級はバビロンに捕囚されたこと(バビロン捕囚は,紀元前 539 年に新バビロニア帝国がアケメネス朝ペルシャに滅ぼされるまで続く),および,紀元 70 年にローマ帝国によって再び Jerusalem と神殿は破壊され,ユダヤ民族は固有の国土を失い(1948年のイスラエル建国まで),各地に離散したこと — にもかかわらず,世界史の舞台から消え去ることなく,民族的な生存と同一性を維持してきました.そして,現代に至って,ユダヤ人たちは,経済の分野においても科学の分野においても芸術の分野においても,目ざましく活躍するようにさえなりました.

それは,非常に驚くべき歴史的事実です.いかにして,固有の国土を失いながらも,かくも長期間にわたりユダヤ人たちは民族同一性を保持し得ているのか?

それは,疑い無く,ユダヤ教の聖書 Tanakh[律法と預言者と諸書]によってです.より正確に言うと,ヘブライ文字で書かれた Tanakh のテクストと,その解釈学 Midrash によってです.さらに言い換えると,Tanakh の文字テクストに対するユダヤ人たちの絶大な信頼 — それをとおして神はユダヤ民族に語りかけていると信ずることを可能にする信頼 — こそが,ユダヤ民族とユダヤ教の存続と同一性の維持を条件づけています.

自分たちの言語とその文字に対する絶大な信頼 — そのような信頼を,我々日本人は,少なくとも今の日本語に対しては,まったく持つことができません.

他方,Heidegger は,ドイツ語に対して,ユダヤ人がヘブライ語に対して有している信頼と同じ程度の信頼を — 絶大な信頼を — 寄せているように思われます.はたして,そのことは,彼の反ユダヤ主義と何らかの関連性を有しているのでしょうか?

また,Lacan は,精神分析の可能性の条件としての Midrash について,こう述べています (Autres écrits, pp.428-429) :

Freud の準拠にもうひとつ決定的なものを付け加えるなら:ユダヤ人は真理の地震に違わないという彼の特異な信仰.その理由は,ユダヤ人は,バビロン捕囚から帰還して以来,読むことのできる者であるということにほかならない.つまり,ユダヤ人は,文字によって,口頭の言葉から距離をとり,両者の間隙を見出し,そこにおいてまさに解釈を巧みに行うのである — 唯一の解釈,すなわち,Midrash の解釈.Midrash が書を文字どおりに取るとすれば,それは,その文面を多かれ少なかれ明白な意図によって支えさせるためではなく,而して,その物質性において捉えられた文字の徴示素的共謀からテクストのもうひとつのほかの言を引き出す — テクストが無視していることをそこに包含してさえも — ためである.


さらに,Séminaire XXII R.S.I. の1975年04月08日の講義において,Lacan は,こう言っています:

皆が神の解脱実存を信じているということは,形式的には,Freud のユダヤ教の伝統によるものにほかならない.その伝統は,文字の伝統であり,それは,彼を科学へ結びつけており,同時に,彼を実在へも結びつけている.


唯一神の宗教の信仰を支えるのは,ユダヤ人のヘブライ語とヘブライ文字に対する絶大な信頼であり,そして,ユダヤ人の文字の伝統は,ユダヤ人を科学と実在へ結びつけている.それは,精神分析の可能性の条件でもある.そのような Lacan の示唆にもとづいて,我々は,「フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教」について問うてみましょう.

唯一神の宗教は,日本人がそれに対していかに耳を塞ごうとも,人間の生と死を条件づけるものであり,それを無視して思考することはできません.ニヒリズムの超克が最も重要な,かつ,喫緊の課題である今,唯一神の[抹消された]存在 (Seyn) について,改めて問う必要があります.

また,可能であれば,日本的な仏教に対する批判も展開してみたいと思います.

講義内容の予定は,次のとおりです:

1. 4月05日:一神教について問うために必要とされる否定存在論とそのトポロジーについて (I)

2. 4月12日:一神教について問うために必要とされる否定存在論とそのトポロジーについて (II)

3. 5月10日 : Freud の『モーゼという男と唯一神の宗教』について (I)

4. 5月17日 : Freud の『モーゼという男と唯一神の宗教』について (II)

5. 5月24日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (I)

6. 5月31日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (II)

7. 6月07日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (I)

8. 6月14日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (II)

9. 6月21日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (III)

10. 6月28日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (IV)


ただし,必要に応じて内容を変更する可能性もあります.

各回とも,開始時刻は 19:30, 終了時刻は 21:00 の予定です.

場所は,文京区民センター 内の会議室です.今のところ決まっている部屋は,次のとおりです:

1. 4月05日 : 2 階 C 会議室
2. 4月12日 : 2 階 B 会議室
3. 5月10日 : 2 階 C 会議室
4. 5月17日 : 2 階 C 会議室
5. 5月24日 : 2 階 C 会議室
6. 5月31日 : 2 階 C 会議室


6月に使用する部屋は,確定しだい発表します.

いつものとおり,参加費は無料です.事前の申込や登録も必要ありません.

問合せ先:

e-mail : ogswrs@gmail.com
tel. 090-1650-2207
小笠原晋也

2019年03月19日

「フロィト,ハィデガー,ラカン & ユダヤ教」のお知らせ

2018-2019年度の 東京ラカン塾 精神分析セミネール の予定の変更をお知らせします.

2019年04月05日に始まる第三学期は,「フロィト,ハィデガー,ラカン & ユダヤ教」(Freud, Heidegger, Lacan et le judaïsme) をテーマとします.

今,ハィデガー研究者の間では,Heidegger の「黒ノート」の出版にともない,彼の思考と彼の反ユダヤ主義との内的な連関に関心が集中しています.それをめぐって多数の議論が為されており,さまざまな論考が出版されています.

精神分析に関しては,Heidegger は,「性本能」にもとづく精神分析を一種の生物学主義として退けており,また,der Jude »Freud«[ユダヤ人「フロィト」]に対する侮蔑と嫌悪を「黒ノート」に記しています.

他方,Musée d'art et d'histoire du judaïsme (MAHJ) では,昨年10月から来月まで,Sigmund Freud をテーマにした展示 が行われており,その一貫として昨年11月に行われた Gérard Haddad の講演の録画が最近 YouTube に公開されました.

Freud は無神論者を自認していましたが,彼の最後の著書は Der Mann Moses und die monotheistische Religion[モーゼという男と唯一神の宗教]に関するものでした.ユダヤ教は彼の思考に無関係ではあり得ないことが,察せられます.むしろ,Lacan は,ユダヤ教の「文字」の伝統は精神分析の可能性の条件である,とさえ論じています.

Lacan に分析を受け,Lacan の弟子であった Gérard Haddad は,かねてから,そのようなユダヤ教と精神分析との関連性について,彼の幾つかの著作のなかで主題的に論じており,講演においてもそれについて印象深く語っています.

我々も,神の 存在 と人間の 存在 とのトポロジックな一致を視野に収める否定存在論の観点から,「ユダヤ教の伝統は精神分析の可能性の条件であり,かつ,反ユダヤ主義者 Heidegger の思考によってこそ精神分析は純粋に基礎づけられ得る」という一見逆説的な Lacan の思考をたどりつつ,「フロィト,ハィデガー,ラカン & ユダヤ教」について問うてみましょう.

なお,Lacan の Télévision の読解は,2月22日までに完了する予定です.3月は一ヶ月間,春休みです.日程と場所の詳細は,こちらに掲示されます.

We announce that the theme of our Seminar of this third trimester starting on the 5th April will be "Freud, Heidegger, Lacan and Judaism".

The publication in progress of Heidegger's "Black Notebooks" doesn't cease to provoke hot debates among researchers on the subject of internal relationships between his fundamental-ontological questioning and his vehement antisemitism.

We know that Heidegger criticises psychoanalysis as a sort of biologism based on "sexual instinct", and now we can find an unmistakably hateful expression "der Jude »Freud«" in a page of his "Black Notebooks".

On the other hand a Lacanian psychoanalyst Gérard Haddad who is the author of several books on the subject of relationships of psychoanalysis and Judaism reminds us again in his recent conference in the Musée d'art et d'histoire du judaïsme (MAHJ) of Lacan's remark that the "literal" tradition of Midrash forms even the condition of possibility of psychoanalysis.

So how is Lacan able to think that the thought of the anti-Semite Heidegger helps him to refound psychoanalysis and that the Jewish tradition conditions Freud's discovery of the unconscious ? — this question will be the theme of the third trimester of our Seminar on Lacanian psychoanalysis. We will develop it on the basis of our apophatic ontology which forms the pure foundation of psychoanalysis and the topology of which enables us to see the ex-sistent locality of Being as the place of Being of both God and the human being.

As to our commentary on Lacan's Télévision we will finish it in February. And we will have the spring break in March.

The detailed schedule of the resting second trimester of our Seminar is as follows :

the 25th January,
the 1st, the 8th, the 15th and the 22nd February

from 19:30 to 21:30

in the conference room 2C of the Bunkyo Kumin Center, except for the 15th February when we will use the room 3B of the same Bunkyo Kumin Center.

The detailed schedule of the third trimester is as follows :

the 5th and the 12th April,
the 10th, the 17th, the 24th and the 31st May,
the 7th, the 14th, the 21st and the 28th June,

from 19:30 to 21:30,

in a conference room of the Bunkyo Kumin Center. (Which room will be used is unsettled for the moment. If you want to know it please send me a mail : ogswrs@gmail.com).

小笠原晋也
Luke S. Ogasawara

2019年01月21日

Radiophonie 読解

Radiophonie 読解

(1) 否定存在論とそのトポロジー

(2) 言語存在の否定存在論的構造

(3) 主体の分裂

(4) la passion du signifiant

(5) le signifiant et le signe

(6) métaphore et métonymie

(7) 無意識と認識論と存在論

(8) 論理における「急くこと」の機能と精神分析的行為

(9) 異状の構造における科学と資本主義

(10) 男と女

(11) 四つの言説

本文は,それぞれブログ記事を参照.

2017年09月13日

2016-2017年度の東京ラカン塾精神分析セミネール「言説の構造」の要旨

2016-2017年度の東京ラカン塾精神分析セミネール「言説の構造」の要旨

第 1 回(2016年10月21日): Lacan の Séminaire XVII 『精神分析の裏』 第 I 章

第 2 回(2016年10月28日): 第 II 章

第 3 回(2016年11月11日) :第 III 章

第 4 回(2016年11月18日)その 1, その 2 : 第 IV 章

第 5 回(2016年12月02日): 第 V 章

第 6 回(2016年12月09日): 第 VI 章

第 7 回(2017年01月06日): 第 VII 章

第 8 回(2017年01月13日): 第 VIII 章

第 9 回(2017年01月20日): 第 IX 章

第10回(2017年02月03日):第 X 章,第 XI 章

第11回(2017年02月10日):第 XII 章

第12回(2017年02月17日):第 XIII 章

本文は,それぞれブログ記事を参照.

2017年09月13日

東京ラカン塾精神分析セミネールは,7月7日にもう一回追加して行われます

今年度の東京ラカン塾精神分析セミネールは,当初,6月30日に終了する予定でしたが,Radiophonie の第四の問いへの回答の部分が比較的長いので,7月07日にもう一回追加して行われます.時間は,いつものとおり,19:30 - 21:00, 場所も,いつものとおり,文京区民センター 2 階 C 会議室です.

2017年06月07日

ラカン読解ワークショップの月例化について

2016年10月16日,特別企画として,ラカン読解ワークショップを初めて行いました.しかし,Lacan のテクストをみずから読解し得るようになるためには,常日頃から読解の訓練を積み重ねて行く必要があります.

そこで,毎週金曜日の東京ラカン塾精神分析セミネールのうち,毎月最終回を workshop の形で行うことにしました.

参加者のうち幾人かが,Lacan のフランス語原文の比較的短い部分を読み,わたしが適宜,手助けと解説を加えて行きます.フランス語学習初心者のために,文法や発音に関する問題も取り上げます.

今年度,2016-2017年度は,Ecrits に収録されている L'instance de la lettre dans l'inconscient freudien ou la raison depuis Freud を読んで行きます.

日程については,セミネール予定表を御覧ください.詳細ついては,お問い合わせください.

2016年11月03日

精神分析の実践がかかわるのは「こころ」にではない – clinical psychologist の国家資格制度について

Clinical psychologist の国家資格化に関する新聞記事を見かけた:


心のケアに国家資格「公認心理師」制度を創設

厚生労働省と文部科学省は,心のケアにあたる国家資格「公認心理師」の制度を創設する.欝,虐待,不登校など心の問題が深刻化し,対応が求められる中,一定の質を持った心理職を養成するのが狙い.20日(2016年09月20日)に教育カリキュラムを決める初の検討会を開く.

厚生労働省研究班の2014年度調査では,国内で働く心理職は約 38,000 - 40,000人.医療機関,学校,企業,警察,裁判所など,活躍の場は広がっている.他方で,さまざまな民間資格が乱立し,認定条件,試験,更新制度はさまざまで,技量に差のあることが指摘されていた.

このため,誰もが安心して心のケアを受けられるよう仕組み作りを求める声が高まり,昨年09月,国家資格化を定めた公認心理師法が成立した.2018年に第1回国家試験が行われる予定だ.

同法によると,受験資格は,大学と大学院で指定された科目を修めた人や,大学で指定科目を修めたあと一定の実務経験を積んだ人などだ.現在心理職として働く人も所定の条件を満たせば施行後5年間は受験できるよう,経過措置がある.

検討会では,公認心理師に必要な知識や技術について整理し,指定科目や,何を実務経験と認めるかなどについて話し合い,今年度中に報告書をとりまとめる.


厚生省による clinical psychologist の国家資格化の必要性は,昔,わたしが精神病院勤務医であったころから,精神科医たちにより提言されていた.ただし,その理由は:手間暇のかかる psychotherapy を医師以外の者にまかせることによって医師ができるだけ多数の患者を診察し得るようにすること,かつ,psychotherapist の面接についても医師の診察と同等の高い保険診療点数を請求し得るようにすること;つまり,医療機関の保険診療の売り上げができるだけ高くなるようにすること,である.

今はどうか知らないが,昔は,精神病院のなかで「心理かぶれ」の医師がひとりの患者に psychotherapy と称して長時間の面接を行うことは,したがって,院長などの精神病院管理者からは非常に嫌われていた.そんなことをするより,数をたくさん診ろ,というわけである.

さらにそこには,psychotherapy は時間がかかるだけで,治療的には無効だ,という考えも含意されている.かつて,「ムンテラ」という医師隠語があった.Mundtherapie : 口・療法.つまり,口先で適当な言葉を患者に言って,患者を納得させることである.psychotherapy は一種の「ムンテラ」だ,ただの気休めだ,という考えである.

したがって,精神科医たちにとっては,故河合隼雄氏の主導で文部省所轄の資格としてできあがった臨床心理士は,まったく無意味なしろものであった.

いずれにせよ,精神分析がかかわっているのも,psychotherapy と同様に「こころ」の次元のことである,と考えている限り,おまえたちがかかずりあっているのは imaginaire なものにすぎない,という批判を免れることはできない.

大学で多くの psychologist たちがネズミの行動心理学に専念しているのも,そのような批判をかわすためである.

そもそも,「こころ」という表現を用いている限り,心身二元論を免れることもできない.

精神分析の場は,心理学的場ではない.Lacan はそのことを強調するために,当初から文化人類学や言語学への準拠を積極的に登用した.

Lacan の Heidegger 存在論への準拠も,確かに,精神分析の脱心理学化のためである.しかし,それは,Lévi-Strauss や Saussure への準拠と同じ水準のものではない.

Heidegger への準拠は,より根本的なものである.つまり,精神分析をその本質において思考するためのものである.

Lacan にしたがって,Heidegger への準拠によって,精神分析をその本質において定義するなら,我々は今やこう公式化することができる:

精神分析は,存在の真理の実践的な現象学である.

存在の真理が,それが自身を示現せんとするがままに,自身を示現し得るようにすること:精神分析の経験は,そこに存する.

資格認定については,Lacan はこう公式化している:「精神分析家は,己れ自身によってのみ資格認定される」 [ le psychanalyste ne s'autorise que de lui-même ] (Proposition du 9 octobre 1967 sur le psychanalyste de l'Ecole, in : Autres écrits, p.243).

それは,誰もが恣意的に精神分析家を自認してよい,ということではない.

Lacan が言うところの「己れ自身」は,哲学や心理学や法学や社会学等を含む世の通念が「自我」とか「自己」とか「自己意識」などと呼ぶところのものではない.

そうではなく,この「己れ自身」は,精神分析の経験をとおして成起することになる自身の存在の真理そのもの,すなわち,Heidegger が Ereignis [自有]と名づけたところのものである.

であればこそ,精神分析は存在の真理の実践的現象学である,と規定され得る.

「精神分析とは,精神分析家が為すものと人々が期待するところの治療である」 (Ecrits, p.329) と Lacan は1955年に規定した.そして,精神分析家とは,その本有において,自身の精神分析の経験により発起する自有である.

clinical psychologist の資格認定は,当事者や官僚どもが如何なる条件を設定しようと,単なる仮象の次元のものにすぎない.

ごまかしや気休めでない何ものかに到達しようとするなら,自有となった精神分析家と出会うことから始めねばならない.

逆に言えば,決して真理へ目覚めようとせず,ごまかしの非本来性のなかでまどろみながら夢を見続けていれば済む者には,clinical psychologist の「カウンセリング」で十分である.

2016年09月22日

精神分析の面接の料金について

フロイトはいわゆる開業医でした.自身の生計をたてるために,診療行為に対して患者から支払を受けました.そのことは,形の上では,あらゆる専門職に関して同様です.

自身の生計のために,弁護士は法律相談や弁護活動に対して,税理士は会計業務に対して,顧客から支払を受けます.精神分析家についても,形の上では同様です.

一般的に,或る専門職の者が自身の専門的な知識と経験にもとづいて行う業務には,それに固有な内在的な「価値」があり,それに見合う代価を顧客は支払う,と思念されています.精神分析家が行う精神分析の業務に関しても,確かに,事は同じであるように見えます.

しかし,精神分析に金を払うということには,ほかの専門職の業務に対する支払とは本質的に異なる必然的な理由があります.それは,このことです:精神分析においては,「顧客」,すなわち精神分析の「患者」– ラカン派精神分析においては analyste[分析家]との区別において analysant[分析者]と呼ばれる者 – は,精神分析の経過中,それまで悦してきたことを断念せざるを得なくなるよう,経済的な負化の状態を耐えねばならない.なぜなら,悦は,精神分析において解体されるべき症状の意味であるからです.

たとえば,あなたは何か高価な物品の収集を「趣味」にしている.あなたは,自身の収入のかなりの部分をそれに費やしている.そして,そのような「趣味」を続けるための出費のせいで,あなたは,ほかのより有意義な何かをすることができない.より悪い場合には,「趣味」は「浪費」を招き,そのせいで,あなたは,より開かれた可能性を生きることをまったく妨げられてしまう.そのような「趣味」は,ひとつの症状です.(この譬えは,フロイトが「リビードの経済論」として論じていることにもとづいています.)

そのことに気づいて,あなたがその症状を何とかするために精神分析を試みる場合,精神分析家は,あなたにとって症状の継続が多少とも困難になる – ただちに全く不可能にはならないとしても – 程度の経済的負化をあなたが被るよう,精神分析の料金を設定します.

つまり,精神分析の料金は,精神分析家の専門的な業務に内在的な「価値」の関数というよりは,むしろ,あなたの症状に固有な悦の関数において設定されます.

ですから,弁護士の相談料が30分につき幾らと明示され得るのとは異なり,精神分析の料金をここに「一回の面接は幾ら」という形で表示することはできません.

一般的に言って,精神分析の面接は,有効であるためには,週に一回ではなく,複数回,数ヶ月間ではなく,幾年間かにわたり,継続される必要があります.したがって,一回の面接の料金は,あなたが精神分析を,上に述べたような経済的負化に耐えつつ,週に複数回,幾年間かにわたって続けることが可能であるように,設定されます.

「週に複数回」と言いました.面接の頻度についてもここで触れておきましょう.面接の頻度は,日本で臨床心理士らが「カウンセリング」と称して行っているものにおいては,週に一回であることが一般的です.しかしそれは,そこにおいて何事も起こらないようにするための方便にすぎません.

精神分析は週に一回では無効だとは言いませんが,週に複数回の方がより有効です.精神分析では症状を解体することがかかわります.多かれ少なかれ強固な固着から成る症状に揺さぶりをかける作業は,週に一回の面接ではなかなかはかどりません.週に複数回の面接の方が望ましいのはそのためです.

ともあれ,精神分析の面接の頻度と料金は,最初の幾度かの面接においてあなたの症状を見究め,あなたの経済状態や日常生活を考慮したうえで,個別に設定することになります.

2016年09月20日

「ラカンを読む」とは

ラカン読解ワークショップ:ラカンへの回帰」が10月16日に行われます.

Lacan の書は,おしなべて難解です.Séminaire はさほどでもないと一般的には思念されていますが,しかし,最晩年の Séminaire では,彼は,「難解」を通りこして,「意味」のあることをほとんど話しませんでした.それは単に,大腸癌に健康を蝕まれつつあった彼の衰弱のせいだけではありません.

Lacan に限らず,偉大な哲人たちや偉大な詩人たちは何故難解なのか?彼らは故意に難解に書いたのか?

Freud も Heidegger も Lacan も,偉大な哲人たちに属しています.Heidegger が取り組んだソクラテス以前の哲人たちやドイツ観念論の哲人たちも.また,偉大な詩人の名を挙げるなら,Heidegger が好んで取り上げた Hölderlin, Lacan がときに引用する Paul Valéry, etc.

我々にとって,彼らが残した言葉を「読む」とは如何なることか?

それは,彼らの言葉を原文で読んで,翻訳する,多かれ少なかれ正確な訳文を作る,ということではありません.

そも,翻訳は,所詮,意味に捕らわれています.翻訳者が翻訳し得るのは,彼または彼女が意味を読み取れたところだけです.

ところが,難解な著者の場合,当然ながら,意味の取れないところが少なくありません.しかし,だからと言って,出版される翻訳書のなかで,そのような部分を訳し残すことも許されません.ですから,えてして翻訳者は,意味の読み取れない言葉に代えて,「意味」のある訳文をでっちあげます:つまり,誤訳.

偉大な哲人や詩人を本当には邦訳で読むことができないのは,そのせいです.

彼らにおいて重要なのは,意味ではなく,而して,Lacan が ab-sens と呼んだもの,意味に対して解脱的なものです.そのようなものを思考し,詩うためにこそ,彼らは語り,書いたのです.

だからこそ,彼らの言葉は,意味の観点からは難解なのです.

我々にとって,偉大な哲人や詩人を「読む」とは,彼らのテクストをとおして,彼らの言葉のおかげで,ab-sens に対して我々自身を開き,それへ問いかけ,その答えに耳をすませることです.つまり,「存在の言葉」 [ das Wort des Seyns ] を聴こうとすることです.

意味に捕らわれていては,存在の言葉を聴くことが妨げられてしまいます.訳文を作ったことで安心してしまえば,存在に関して,存在そのものへ,問いかける思考を続けることができなくなってしまいます.

今回の workshop では,「問いかける」ことに特に重点を置いてみましょう.

問いかけて,どうなるのか?答えがすぐに返ってくるのか?

否.答えがすぐさま得られるわけではありません.むしろ,耐え難い沈黙しか返ってこないかもしれません.

しかし,重要なのは,問いかけに対する沈黙の答えを前にして,不安に耐えることです.

幸い,我々は,『沈黙』の主人公のようにひとりで不安に耐えねばならないわけではありません.不安を分かち合う誰かが身近にいるでしょう.

2016年09月12日

ラカン読解ワークショップで取り上げられるテクスト

今までのところ,四人の発表予定者が,Lacan のテクストのどの一節を今回のワークショップで取り上げるかを知らせてきてくれました:

Réponse au commentaire de Jean Hyppolite sur la « Verneinung » de Freud,
Écrits, pp.381-399

Subversion du sujet et dialectique du désir dans l’inconscient freudien,
Écrits, p.815 以降の数ページ

Position de l'inconscient の一節 (Écrits, p.839) : « Le sujet, le sujet cartésien, est le présupposé de l'inconscient. L'Autre est la dimension exigée de ce que la parole s'affirme en vérité. L'inconscient est entre eux leur coupure en acte. »

Le séminaire XI, 第11章,pp.127-130

参加申込者には,それらのテクストの原文,英訳,邦訳を Internet を通じて配布しています.

参加申込は Contact

2016年09月12日

Website 改訂

東京ラカン塾の website の体裁を全面的に改訂しました.

2016年09月10日